​~私の履歴書~

シンコーホーム

​住宅事業部代表

池成 幸吉

​生まれてから、現在までの生い立ちストーリー

私の履歴書

生まれてから家づくりにかかわるまで、私(池成幸吉)の経歴を紹介します。

お会いした際に共通点などございましたら、どうぞお気軽にお知らせください。

■生まれも育ちも地元鳥取。スポーツ一筋の熱血マン!

1957年10月9日生まれ。
小学校5年から兄の影響で野球を始める。高校時代には鳥取西高硬式野球部で甲子園を目指す日々だったが、私はお世辞にも上手いとはいえなかった‥と思う。

中央大学 理工学部 精密機械工学科に進学し、
精密機器をソフト面・ハード面の両面から学ぶ。
製図は得意だった。大学1年の時、学び舎の横でレスリング部が練習をしているのを見て無性に体を動かしたくなり入部するも、
試合中に肋骨にヒビが入り休部、そしてドクターストップ。結局、生涯成績1勝1敗。

■東京でも、仕事一筋でした

三洋電機に入社。名古屋勤務になり、大手設計事務所(黒川紀章事務所、日建設計事務所等)を担当し、SEとして中部8県の大型空調機の設計組込みを行う。働き始めて1年、現在の妻と大恋愛のすえ結婚。その後、東京に転勤。東京支社長のもと弱点であるシステム商品の企画開発を担当し、POSシステム・勤怠管理システム・食堂カードシステムなどの企画開発を行う。

東京勤務の2年後、外食産業のすかいらーくグループ中華部門・バーミヤンに店舗開発担当として転職。当時、電機メーカーから外食産業への転職は珍しく、リクルートからの取材を受け雑誌の2ページを飾ることもあった。

店舗でフロアーとキッチンを研修したのち、店舗内全ての「ムダな動線・ムダなスペースの徹底排除」並びに「バイトでも調理できる調理器具の開発」を行う。

バーミヤンの店舗数が40~50店舗になった頃、関東にセントラルキッチンを建てることになり、プロジェクトメンバーに入る。

■地元・鳥取へ戻り、父の会社を継ぐ決意をする

ちょうどその頃、結婚して9年目にやっと待望の長男が生まれる。仕事ではトヨタ生産方式を学び、工場ラインの設計に携わることとなる。
工場ラインの設計中、妻からおなかに双子がいることを告げられる。年子で双子が生まれること、妻の体の調子が悪いことなどもあり、鳥取に帰って
兄(現会長)と一緒に父の会社を継ぐ決意をする。

父の会社(新興建設)に入り、とりあえず手薄となっていた鉄工部の設計を担当し、鉄骨CADを覚える。いきなりNKK(日本鋼管)のごみ処理施設やマンションの鉄骨の施工図を書き、実際に現場のアイバンに着くこととなる。

並行して建築の勉強をし、2級建築士(専攻が畑違いのため1級は受験できなかった)、1級建築施工管理技士、超音波探傷技術者2級、溶接管理技術者、精度技術者等、かたっぱしから資格を取得。

バブルが崩壊し、新興建設の鉄工部・土木部は廃部とし建築管理部門のみを残すことになる。私は民間工事の営業と公共工事の現場管理を行うことに。

■鳥取県 PTA代表として、子育て世代と真剣に向き合う

子どもも学校にあがり少し時間に余裕ができた私は、子どもの学校からPTA役員の依頼を受け、クラス役員くらいならと軽い気持ちで受ける。これがきっかけで、小学校、中学校、高校とPTA会長を受けることになり、最終的に鳥取県高等学校PTA連合会の会長となり、県の代表として全国を走り回ることに。

PTA活動への長年の功績が認められ、鳥取県教育委員会の推薦で平成25年文部科学大臣表彰を受ける。

■家族が幸せになれる家づくりへの情熱

PTAの活動を通して人とふれあうことの大切さ、楽しさを学んだ私は、もっと人とふれあう仕事がしたいと思うようになる。

公共工事では工事完成後に点数で評価されるが、それはお客様と共に家づくりを楽しむという感じではない。

お客様と一緒に悩み、考え、家づくりを通してその先の笑顔が見たい。PTA活動が終わってからこのことを強く思った。

そこでこれまでの人生経験を活かし、お客様が笑顔で幸せになる家づくりをサポートしていくことを決意した。

本質を知る、あなたへ。

私たちの「情熱」に、本質を知るあなたの「感性」を乗せて。

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